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breathnoir      
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sakakura hisashi【坂倉恒】

名古屋市生まれ。
日本写真学園研究科・鈴木清ゼミ卒業。

現在、写真家。

2007年6月〜  an independent photo-gallery "breathnoir" を主宰。毎月連続展開催。

料理・物撮り写真家のアシスタント経験後、
インタビュー撮影、物撮り、商品撮影、舞台撮影、国内・海外取材撮影などを行ってきました。
また、様々なバイトも経験しました。
日々、 マイノリティな人々に声をかけ撮影させて貰ってます。

面白い事を求めて彷徨っています。お仕事随時受付中です。

 

Born in NAGOYA.
Graduated from Jpan Photograph Academy. freelance Photographer.
Opened up an independent photo-gallery "breathnoir" at Tokyo, for active exhibiting his works.

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publish(personal work)

2009/11

「リトルモア・ブックス写真公募展」入選

 

■ヴァーチャル写真集『古巴肖像』
「リトルモア・ブックス写真公募展」で入選に選んで頂きました。
ありがとうございます。

2009/5

アジア研究所  『ワールドトレンド5月号』誌にエッセイと写真掲載(4C4P)

アジア研究所HPでも掲載中

 

2009/5

『古巴肖像』展を開催(新宿コニカミノルタプラザ)

『古巴肖像』 坂倉恒

1.背景
2008年5月。キューバ革命50周年で湧くメーデーを挟んでキューバを旅してきました。コロンブスによるキューバ島の発見から今日まで様々な激動の波に晒され続けたキューバ。あらゆる人種が混ざり合い、だからこそ人種差別がほとんど無い国として知られる。極東の国に住む我々が目にするキューバと言うと、ラムと音楽とチェ・ゲバラのイメージだけでした。誰もが陽気にお酒飲んで音楽を愛し、音楽と共に生きている。キューバの写真と言えば、いつも決まったイメージしか目にしませんでした。

  ・あらゆる民族のるつぼで混血が多く、差別のない国。
  ・情熱的で陽気で朗らかでフレンドリーな国。
  ・色彩豊かで絵になるイメージ。

実はその裏で、貧富の差が激しくなっていると言う情報もありました。
そういった既成のイメージとは別の、素の表情や素朴な部分を知りたいと思い、旧市街や田舎などありふれた部分や音楽などとは別のもう1つのキューバを求めて、1ヶ月ほど旅をしながら声をかけ写真を撮らせて貰いました。1つの街に1週間ずついることで、人々に覚えて貰い、素のポートレートを撮りながら雑談しつつ本音を聞いて見ました。

2,過去の動向
2008年8月、キューバはデフォルト(債務不履行)に陥った。フィデル・カストロが引退し、弟ラウルに禅譲した矢先でのデフォルト。だがこれまで、どんな苦境をも乗り越えてきた陽気なキューバ人は、今回も何とか乗り切るであろう。
【植民地化】
キューバの歴史は、世界の趨勢に翻弄された歴史でもある。1492年にコロンブス(スペイン語でコロン)によって「発見」されたキューバ。そこからスペインによる植民地化支配が始まる。先住民は、スペインから持ち込まれた疫病や過酷な労働などによって、殆どいなくなったと言われてます。代わりの労働力としてアフリカ各地から様々な種族の黒人が奴隷として連れてこられた。サトウキビの生産など過酷な重労働を強いられ、多くの黒人も命を落とした。そんな中でも黒人は、それぞれの信仰や風習・風俗を守り続ける。
19世紀後半に世界的規模で奴隷制度廃止が広がり、奴隷解放の波はキューバにも押し寄せた。
【独立戦争】
またその頃には、キューバに愛着を持つキューバ生まれのスペイン人入植者が増え、スペイン王朝からの厳しい要求に反発を覚える様になり、独立への機運が高まっていく。
1868年、弁護士であるセスペデスらが独立戦争を起こし10年後に一旦は休戦も、その意志はホセ・マルティらに引き継がれ、1898年、アメリカの介入もありスペインに勝利。1902年にキューバ共和国樹立。しばらくは不安定な情勢が続き、クーデター、叛乱が続いた。アメリカの支援の下、バティスタがクーデターで政権を奪還し独裁政治を強いた。アメリカの強い干渉下にあり、富はバティスタとアメリカ、米国企業、マフィアが握ってしまう。いわば米国の半植民地化。そのためキューバは「米国の裏庭」と呼ばれ、カジノが乱立し風紀が乱れ治安が悪化、売春の温床となってしまった。
【キューバ革命】
その状況を変えようと、フィデル・カストロらが立ち上がり、1953年、モンカダ兵営を襲撃し革命戦争を開始。一度は捕まるが、チェ・ゲバラらも参加し幾度もの苦難を乗り越え1959年1月1日、バティスタ大統領を国外逃亡に追い込み革命軍の勝利となる。
【キューバ危機】
傀儡政権を失った米国は、キューバの経済封鎖に乗り出す。キューバ政府は西側に頼れないため、自然と社会主義化しソ連と接近していく。米国からわずか160kmの距離。
ソ連にとっても社会主義国をアメリカののど仏に残しておきたいため、最大限の支援をしていく。ますます高まる東西の緊張。ソ連がミサイルを持ち込み、緊張が一気に高まる。
だがこの頃が一番物資に溢れ、キューバ経済は潤っていた。やがてソ連が解体し、東西冷戦がなくなると、ソ連からの援助がなくなり貧窮に喘ぐようになる。それまでのソ連の支援による繁栄から物資不足へと陥っていく。
【ドル所持解禁後】
 サトウキビ産業から観光産業へとシフトし、ヨーロッパからの観光客が増え少しずつ回復しつつある現在。ドル所持も解禁され、富める者と貧しい者の差が段々と広がっていった。現在はドルの直接授受を禁止され、兌換ペソでやり取りをしている。だが、海外へ亡命した家族からの送金や、国外からの旅行者と商売できる人々はドルをより多く手に入れることが出来、その貧富の差がくっきりと目に見えて不満が募り始めています。
 フィデル・カストロが病気で引退し、弟のラウルに禅譲しました。ますます市場経済的な方向へと梶を切り始めたキューバ。
それでも、キューバの人々は何とか乗り切ってきました。生来の明るさと、陽気さと、音楽で。その性格もあり、様々な混血が生まれ、世界でも珍しい人種差別の少ない国と言われるようになりました。人当たりの良い性格。様々な苦境を乗り越え、どんなときもユーモアを忘れず軽口を叩く。だが、クーリー(苦力)と呼ばれた中国人・インド人が最後に苦役を強いられたものが今でも影を落としています。地方に行けばいくほど、その見えないアジア人への差別意識を感じることが少なからずありました。
 伝わっているイメージだけでは分かりにくい部分。その部分を肌で感じ、陽気な部分の裏側にある素の部分を見つめてきました。

3.写真展の構成
人々は大木で作ったバス停や古いアパート前の広場などに集まり、その周りで商売をしたり、話をしたり、のんびりと物思いに耽っています。バス停やアパート、広場などの大きな写真の周りに色んな人々のポートレートを置き、キューバの人々が集まる「場」と、その雰囲気をそのまま写真展会場で再現しようと試みました。

 

2005年度

清里フォトアートミュージアム作品収蔵

2005/6

岩波書店 『世界』6月号誌・巻頭グラビアに写真掲載(4C8P)

 

2004/2

アジア研究所  『ワールドトレンド2月号』誌にエッセイと写真掲載(4C4P)

2002/9

アジア研究所  『ワールドトレンド9月号』誌にエッセイと写真掲載(4C4P)

2002/2

ニコン・ユーナ21入賞 個展開催(新宿・大阪)


2002/1

月刊カメラマン1月号『ANGLE2002』にエッセイと写真掲載(4C2P)

2000/7

コニカ フォト・プレミオ入賞 個展開催(新宿)

 

 

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